フィリピンのレイテから死線を超えて生還した岡谷實は、1946年(昭和21年)、高畑の自宅に「岡谷医院」という小さな看板を掲げた。
時に、岡谷實は40才。手持ちの器具は聴診器1本であったが、吉田病院や田北病院などから援助を受け診療を行った。
開業当時の戦後間もない頃、岡谷はよく往診にも回った。その足は古びた自転車であり、市内を東奔西走する日々であった。
時には、天理市や郡山市、片桐町にも足を伸ばす。午前中は診療所で診察し、午後には往診。急患と聞けば、休日・夜間を問わずに出かけていった。
自転車は昭和24年にバイク、翌年には自動車と姿を変えていくが、24時間年中無休の往診体制は変わらず続けられた。
(ひとすじの道より)