今回は、「核兵器の廃絶」について皆さんにお伝えしたいと思います。
核兵器による被害
1945年の夏、8月6日に広島へ、8月9日に長崎へ、それぞれ原子爆弾が投下され、この年だけで20万人以上の方が命を失いました(その後に亡くなった方を含めると30万人以上)。また、現在も被爆の後遺症に悩まされ続けている方もたくさんいらっしゃいます。
1954年3月1日、アメリカは太平洋ビキニ環礁において水爆実験を行い、この核実験によって、マーシャル諸島の人びとや多くの日本漁船(「第五福龍丸」)などが被災しました。 広島・長崎への原爆投下以後、核兵器が実戦で使用されたことはありませんが、放射能による被害は、核兵器の実験などでも発生し、世界の多くの人々が犠牲になっています。
世界の核軍縮
アメリカが広島・長崎に原爆を投下してから核兵器時代が始まりましたが、1949年以降、旧ソ連・イギリス・フランス・中国と次々に核実験に成功し、これらの国々は大量の核兵器を製造・保有してきました。核保有国の増加は、地球全体を巻き込む核戦争の危機を増大させました。
この際限ない核拡散の流れを止めるため、まず一九四六年の最初の国連総会で「核兵器廃絶の第一号議案」が採択され、1961年の国連総会でも「核兵器使用禁止決議」が採択されます。1970年に「核不拡散防止条約」(NPT)が発効し、188カ国(2003年現在)が批准。一定の効果を果たしてきました。
しかし、この条約に未加入のインド・パキスタンが核実験を行なったり、2003年1月に北朝鮮が条約からの脱退を宣言したり、条約はその基礎から揺らごうとしています。
核実験に関しては、1994年のジュネーブ軍縮会議で包括的核実験禁止条約(CTBT)が提案され、1996年の国連総会特別本会議でCTBTを圧倒的多数で採択されています。
原水禁世界大会
これらの世界の核軍縮に先駆けて行われたのが「原水爆禁止世界大会」です。前述の「3・1ビキニ事件」は、日本国民に大きな衝撃をあたえ「広島・長崎の悲劇を繰り返すな」と、全国に原水爆禁止の声がまきおこりました。約3000万筆の原水爆禁止署名が集められ、1955年8月に第一回原水爆禁止世界大会が開催されました。
これ以降、日本の原水爆禁止運動は、「核戦争阻止」「核兵器廃絶」「被爆者援護」を掲げて、世界の人々や非核国政府と連帯して、世論と運動を広げてきました。今年も、「世界大会」は8月4日〜6日まで広島で、8月8日〜9日まで長崎で開催されます。
私たちにできること
いまや核兵器廃絶は世界の大きな流れに発展しています。しかし、「核兵器のない平和で公正な世界」の実現のためには、多くの課題があります。それらの課題を実現するために、私達にもできることがあります。それは「すみやかな核兵器の廃絶のために」の署名を推進することです。この署名は、核保有国を含めた全ての政府に対して、「核兵器の全面禁止と廃絶」のために速やかに協議を始めるように求めています。この署名の推進が、世界の世論を動かして、核兵器廃絶のための世界の運動をさらに大きくするのです。
今回は、「核兵器廃絶」のことを取り上げましたが、平和の課題は他にもいろいろあります(在日米軍基地・憲法9条・日本の加害責任などなど)。しかし、「核兵器廃絶」の願いは、みんなの願いです。皆様、是非「すみやか」署名への御協力よろしくお願い致します。(小泉診療所職員・おかたに病院平和委員会・黒田知克)