■ 病室の窓から世界遺産を一望
奈良市は奈良県の最北部に位置する人口36万人の市で、2002年からは中核市となりました。
奈良に都が移ったのは1300年前の710年。現在、その平城宮跡はほぼ全域が特別史跡に指定されています。
古代都城の遺跡の中で、全域が保存されているのはこの平城宮跡しかなく、調査・研究の上でも非常に重要な意味を持っています。
京都に都が移って以降、奈良は鎌倉・室町時代に再び興福寺、東大寺の門前町として発展してきました。その門前町の町家の家並みを残し、世界文化遺産に「バッファゾーン(緩衝地帯)」として含まれる「奈良町」の南側におかたに病院があります。
病室の窓や屋上からも若草山や大仏殿、興福寺の五重塔を望むことができ、世界遺産が一望できる自慢の風景となっています。
■ 科学的視点とリーダーシップ
戦前から無産者診療所の活動に参加していた故岡谷實名誉理事長は、1944年に軍医として召集され、フィリピンのレイテ島で終戦を迎えました。患者を率いた「死の行軍」の中で、「戦争は近く敗戦に終わる。このままでは犬死だ。なんとか生き残って祖国の再建に参加しなければならない」と多くの兵を説得して投降。「生きて虜囚の辱めをうけんよりは死して悠久の大義に生きよ」という戦陣訓を叩き込まれた軍隊の中で、しっかりと科学的な視点をもち、勇気を持ってリーダーシップを発揮した同氏の行動は、今でも岡谷会職員の行動の規範です。
■ 在宅医療に力
1946年に奈良市高畑町に無差別・平等の医療を理想に掲げ、岡谷医院が開院されました。
それが岡谷会の第1歩です。開院当初から在宅医療に力を入れ、家のない人にまで往診をするなど、その活動は「往診の岡谷」と呼ばれ、地域の中で大きく信頼されてきました。
1953年には全国民医連(現在の全日本民医連)の結成に参加、1958年には地域の人びとの願いを集めて岡谷病院が誕生しました。
1966年に岡谷病院は衝撃的な火災にみまわれましたが、火災の3日後から診療を再開。多くの人びとから励ましや再建資金等の支援を受け、翌年には再建されました。そして全日本民医連で最初の老人保健施設の開設をはじめ、訪問看護ステーション、在宅介護支援センター、ホームヘルプステーションの展開など「往診の岡谷」の伝統を受け継いだ保健・医療・福祉のネットワークづくりの中で、「安心・安全・信頼の医療・福祉」を一貫して追求してきました。
■ 2002年に新築・移転
2002年には再び多くの人びとの協力を得て、新しい医療ニーズに応えるため現在の奈良市南京終町に病院を新築・移転しました。より親しみやすい病院をめざし「おかたに病院」と名前もひらがなに変更し、入院150床(一般病床100床、療養病床50床)、1日外来患者数約300人の病院として保健・医療・福祉の活動を行っています。
2003年7月には病院機能評価も受審。患者さまの人権を尊重した、安全で質の高い保健・医療・福祉の提供を心がけ、地域の人びとから信頼され変される医療機関であることをめざしています。
(おかたに病院:事務長 澤山 浩)
給食はHACCPに準じた衛生管理基準で、航空機の機内食のシステムを活用して提供されています。